第一話 草原の覇者 

 

 青い。
 草原の空の宏大な蒼さと、茂った草の碧さがルイスは好きだった。
 見渡す限りの、青である。草原の国とは、蒼天の国。しかしそこに住む者達まで、このように透き通るような青さを持っているとは限らない。
 その言葉をそのまま表しでもしたかのように、今この国には争乱が満ちている。そしてそれもまた、ルイスは堪らず好きだった。

 愛馬と共に、一人ルイスは丘に居た。なだらかに連なる小山の向こうに、まるで火事のように土煙が立ち昇って見える。
 やがて轟と共に丘の影から幾多もの騎馬が姿を連ね、すぐにその数は三千を越えた。隊列は整然としていて、遠目に見る限り隙は見えない。
 先頭を駆けるベリアの手が慌ただしく指示を飛ばすのを、ルイスの眼はしっかりと捉えていた。その一つ一つが方々にまで渡り、流れる一本の川ように騎馬隊が目の前を駆け抜けていく。それは隊列が突然二つに分かれたと思うと一つになり、今度は三つになり、五つにまでなって縦横無尽に草原を駆けるとベリアの合図で再び一つとなって大きな流れに戻った。
 思わずルイスは唸った。よくもここまでの軍になったものだ。紛う事なき、自分の騎馬隊である。
 ゆっくりとルイスは騎乗した。腿を締め上げ、声を上げ、訓練用の木の戟を頭上で大きく振り回す。

「さあ、行こう」

 空を駆け下りるように、ルイスは丘を下った。ベリアが一瞬こちらに眼を走らせ、直ぐさま三千の騎馬が二つに分かれる。ルイスの愛馬は後方の千五百騎に追いつくと、直ぐにこれを追い抜いた。そのまま千五百がルイスの後方に付き、もう片方の千五百はベリアと共に丘の稜線に隠れるように迂回して姿を消した。次第に戦の昂揚がルイスを包んでいく。全身から漲る闘志が、呼気となって天へと昇る。
 大地を羽ばたき自由に原野を駆けていく。ルイスの片手の合図で千五百が千と五百になり、五百が三隊となり、それが五隊にまでなると縦横に騎馬が騎馬の間を駆け巡り、再び千五百の一隊となる。ただし、その左方と右方の騎馬が真逆に入れ替わっている。それをまったく速度を緩めずにやってのけると、ようやくルイスは馬速を緩めた。ルイスの合図一つで止まり、後退し、その場で反転さえもする騎馬隊。それが今ではルイスの誇りであり、全てであった。
 前方にやや大きな丘がある。ルイスは手で簡単に合図を飛ばし、初見ではそれと気付かれぬように一隊を僅かに遅らせた。異音は何も聞こえない。怪しい様子もない。それでも、丘を越える前からルイスには確かな予感があった。
 丘を左へ迂回する。突如、地から間欠泉でも吹き出したように騎馬隊に衝撃が走った。真右。接触した兵を中心に食い破られ、瞬く間に何人かが打ち落とされていく。しかし、そこまでだった。千騎がルイスと共に足を速める。そして五百騎は反転して身をかわすと、横を突いてきた千五百騎のさらに横を貫いていた。
 突撃が緩む。それを見逃さず、ルイスは即座に千騎を反転させ、なんとか衝撃を受け流そうとしている千五百騎を五百騎と挟撃した。大半を突き落としたが、三百ほどが四散して挟撃を逃れていく。それは即座に集結し、五百ではなく千騎のこちらに迷わず突っ込んでくる。
 ルイスは片手を上げ、三百がぶつかる瞬間に隊を完全に二つに割って左右に駆けた。三百が割った中央を駆けていく。止まりきれず、三百は未だ混戦を続いている中へ流れ込んでいった。ルイスは五百を広げ、千と合流してこれを完全に取り囲んだ。囲みに触れる者を次々に棒で打ち落としていく。呼吸を五つほど数えた頃、既に相手の千五百のうち立っているものはいなかった。
 馬から落ちたものは死で、死んだ者はその場に座り込む。ルイスの側にいた者で、座り込んでいる者は殆どいなかった。
 ルイスは数十騎を連れて戦場となった場所を見渡すようにゆっくりと半周すると、逃げ出した馬を捕らえさせ、それで調練を終える合図を出した。将校に負傷者の数を調べさせ、無傷な兵には馬と武具の手入れを念入りにするよう命じる。休息はその後である。殆どをベリアに任せ、ルイスは一人離れたところでそれを見ていた。
 暫くして、ベリアが駆け寄ってくる。兵達を前に胸こそ堂々と張っているが、その顔はやはりどこか精彩を欠いていた。
 報告を受ける。打ち身などは大勢いたが、動けなくなるほどの大怪我を負った者はいなかった。

「こちらの犠牲は皆無、そちらはほぼ全滅。なぜ、こうも負けたと思う?」

「……千五百騎が一丸となって突撃を仕掛けました。しかし力が及ばずに逃し、逆に挟み撃ちを掛けられることになり」

 ルイスはベリアの握り締める拳を見た。見るからに堅い、無骨な手が震えている。

「初めから奇襲を考えた。時にはそれも良いが、奇襲は奇襲が来ると読まれた時点で成立しない。俺は五百騎を即座に転身してどこからでも敵の横を付けるように少し離しておいた。つまり俺は奇襲に備えていて、お前はそれに気付かなかった。勝敗はそれだが、奇襲そのものも弱かった。初めの一撃で、全てを決する。横を突くのではなく、正面から逆落としにする。そうなっていれば、千騎が千五百騎の突撃を逃れることはできなかっただろう。五百騎だけが孤立することになる。指揮官が、先頭に立たなかったからだ。奇襲は、即戦でなければならぬ。次に、どうするかなど考える必要もない。失敗すれば死。それだけの覚悟がなければ奇襲など考えるべきではない」

「……はい」

 顎をしゃくると、ベリアは大きな声を張り上げ即座に駆けていった。ルイスは、黙ってその背を見詰めた。強くなった。この一年で最も力を伸ばしたのは間違いなくベリアだろう。実戦でも上手くやる筈だ。
 ルイスは、顎の髭に手をやった。自分ももう四十を幾つも超えている。北嶺の山奥に籠もった柏蛇と、賊を追い回していた頃も既に遠かった。様々なことがあった。それだけの、時が流れたのだ。その中でルイスは即戦を選び、柏蛇は堪え忍ぶ道を選んだ。
 あと二年。それだけの時があれば、この国の歴史の中でも有数の騎馬隊を作り上げるだけの自信がルイスにはあった。
 先ほどの奇襲も、他の騎馬隊かあるいは歩兵であったなら間違いなく成功していただろう。しかも即座に壊滅させることも、包囲することも、再び姿を隠すことも容易だったはずだ。指揮官は先頭に立てと言ったが、それが全てでもない。ただ、それがルイスのやり方である。
 この原野を、何者にも阻まれることなく縦横に駆け巡る軍隊。やはり、あと二年だろう。しかし、時は自分だけに与えられているわけではない。

 その答えは、十日後に現れた。

 日が沈み、再び昇ろうかという頃。丘の稜線の向こうから矢のような勢いで一頭駆けてくるのが見えた。ルイスにはその馬の走らせ方で、それがベリアであると分かった。慌てている。ベリアが取り乱すような事態などそうあるものではなかった。それが、一目で分かるほどに慌てている。
 ついに、来たのか。さすがにルイスの胸も熱く震えを覚えずには入られなかった。

「大将ッ」

 ベリアが馬上から声を上げるのが眼に見える。聞こえずとも、ルイスは大きく頷いてやった。集合の鐘はさっきから五月蠅いほどに鳴らせている。訓練ではない。非常用の鐘である。ベリアがルイスの目の前に飛び降りる時には、すでに武装を整えた三千騎全てがルイスと砦の正面へと集結していた。
 ベリアは馬と同じに息を切らせて何も言わない。それでも、蒼白な顔にしっかりとそれは記されている。口惜しいようでもあり、やはりというようでもある。
 ルイスの方から、口を開いた。

「敗れたか、連合は」

「はい、日の出と共に行われた総攻撃にて決定的に。もはやどこかにまとまって反撃を試みる余裕はなく、散り散りになった軍をかき集めながらなんとか西へ西へと逃げているようです」

「そうか、潰走だけは免れたか。散り散りにならぬと言うなら多少の指揮官はいるようだが、若い。
 もはや纏まったまま受け入れられる土地はあるまい」

「……盟主のダラスは、まだ生きているようですが」

「あれは軍人ではない。戦で商人が力を持ちすぎた、それは連合の悲運だな」

「はい」

「それで、追撃はどうなっている?」

「地方軍の大半と本隊の半数。残りは本陣に残り撤収作業と帝の護衛に従事しているようです」

 ルイスは満足して大きく頷いた。

「では、行くか」

「……は?」

「聞こえたろう、出撃だ。今こそカインの首を取る好機。唯一無二に生まれた、大軍の隙だ」

 呆然とするベリアを尻目に、ルイスは三千の麾下の方へと向き直った。無言で腰の剣を抜き、天を指した。

「皆、これまで訓練によく耐えた。今こそが約束の時である」

 他に言葉はいらなかった。ただ雄叫びを上げる。ぽつぽつと飛び出すように沸いた歓声は一瞬で大地を覆い、ルイスはさらに吠え声を上げた。
 天下。みな、このたった一言のために過酷な調練に耐えてきた。勝利。例えその相手が、二百年に渡りこの国を統べてきた帝国であろうともだ。
 勝てぬはずはない。我らこそが、この国の最強である。
 顔だけ向き直ると、ベリアもまた甲高い声で腕を振り上げ、全身で気を発している。それは、ルイスをも圧するほどだった。
 この騎馬を率いて並の軍に負ける筈はない。ましてや三ヶ月もの対陣の末に寡兵で敵を討ち、勝利に浮き足立っている軍である。

「出陣は騎馬でのみ。残りの歩兵は半数で砦の防備、半数は後詰めとして待機させておけ。旗などいらぬ」

「砦にはまだ二千の歩兵がおります。それを三千騎のみで?」

「歩兵を連れていては間に合わん。機は半数が追撃に出ている今しかないのだ。そのために調練をし、そのために準備も重ねてきた。急げよ、お前も俺と共に半数を率いるのだ」

 ぶるりと体を震えさせ、ベリアが大きく声を上げた。熱を持った瞳は、まるで恋に浮かれる少女そのものだ。それでも、自分と並んで隊を指揮できるものは他にいない。戦場で先を見る目などは中々のものだった。剣でも並の兵には負けず、馬上で使う槍の腕には並々ならぬ物がある。
 ベリアは、肉体的には男ではなかった。しかし、隊の誰もが認める戦士である。そして若さに見合うだけ激しいものを胸に秘めてもいる。兵の支持に厚く、学すらもある。褐色の具足に身を包んだ外見は、屈んで顔を覗かなければ女とは分からない。しかし、如何にも細身だった。そして、それすらもベリアは戦で上手く利用する。
 ルイスは再び自分の愛馬に飛び乗った。鉄製の具足が擦れあい、僅かに音を立てる。一度、竿立ちにさせて向きを変えた。朝日が眩しい。

「我らは、この一戦を持って最強である証しを立てるだろう」

 息を吸い込む。万感の思いを、この一言に掛けた。

「出陣する」

 いきなり、ルイスは先頭を駆けた。それにも、ぴたりとベリアは付いてくる。麾下も付いてくる。正に一体である。
 勝てる。ルイスはまたそう思った。
 麾下、総数三千。敵は追撃に半数を割いたとはいえ、帝国軍十万である。




                                                            (二話へと続く)


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